「万葉集」の時代の人々の髪型ですが、

天武天皇十一年(682年)の四月に、

男女とも髪を結い上げる事が命令されるまでは、

男性は髪を左右に分けて両耳の辺りで輪の形に束ねた角髪、

女性は垂髪でした。角髪は、少年の髪型となったようです。

平安時代の皇子や貴族の男性の幼い頃に、

この髪型が見られるのは、万葉集の時代の名残りという事ですね。

しかし、女性の方には、結い上げた髪型は、なかなか普及しなかったらしく、これが女性の基本的な髪型として普及したのは、

文武天皇の時代の慶雲二年(705年)の十二月に、

再度髪上げの命令が下されてからだそうです。

この結い上げた髪型をあげまきと言い、頭上に一つあるいは二つの

髻を作るものでした。