生年不詳。 天武十二年(683)に没。 「日本書紀」では、鏡姫王。 藤原鎌足の正妻。天武天皇が、天武十二年の七月四日に、鏡王女を見舞った記録がある。 額田王と姉妹であったと言われますが、彼女との姉妹関係を立証する、 確かな証拠はなく、近年の研究では二人が姉妹だったという説は、 支持されなくなってきているようです。額田王と同じ鏡王の娘であるというのも、呼称が同じ鏡であるという事だけからの推測であり、やはり、父とされる鏡王との親子関係も、確証はないようです。<実は私も、以前から鏡王女と額田王って、本当に姉妹?という疑問が幾度かよぎった事があります。 どちらも、美しくて才能があり、天智天皇に寵愛された美人歌人姉妹なんて、何かでき過ぎてない?とか。それに、何かとわからないことだらけの古代ですし。 また、額田王と同じく、鏡王女の方も、天智天皇の妃ではなかった可能性も、出てきているようです。梶川信行氏は、鏡王女は天智天皇の後宮に女官として、仕えていたのではないか?と考えているようです。天智天皇との一連の歌のやり取りも、あくまで宮廷の遊びとしての 歌のやり取りではないかという事です。 また、鏡王女は藤原不比等の母ともされますが、不比等の母は車持与志古娘だとする史料もあり、これもはっきりしていません。また、鏡王の娘ではなかったとすれば、鏡王女が誰の娘なのかすら判明しない事になり、額田王以上にその実体は、謎に包まれているとも言えます。 万葉集巻第二 九二 秋山の樹の下隠り逝く水のわれこそ益さめ御思よりは 意味 秋山の樹の下の見えない所を通ってゆく水が増えてくるように、 私は天皇が思ってくたざるよりは、一層深くお思いしております。 九三 玉くしげ覆ふを安み開けていなば君が名はあれど わが名し惜しも 意味 玉くしげのように人目にたっていないのをいい事に夜も明けてからお帰りになると、やがては人に知られます。あなたのお名前はともかく、私の浮名の立つのは困ります。 今までは、天智天皇から藤原鎌足に下げ渡される事になりながらも、 元天皇の妻としての誇りを持ちながらも、悲しみも秘めた歌 という解釈をされる事が多かったような感じがしますが、鏡王女が天智天皇の妻でなく、宮廷に仕える女官だったとしたら、 この歌も、自由恋愛的な感じで、すでに鎌足との関係成立後に 詠まれた歌だとしたら、どことなく軽快に軽くいなしている感じの歌という感じがしますね。 四八九 風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ 意味 あなたが風だけにしろ恋うているのは羨ましい。 訪れる人とてない私は、風だけでも来るかと待つのなら、こんなに嘆きはしません。 万葉集 巻第八 一四一九 神奈備の伊波瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそわが恋まさる 伊波瀬の社の呼子鳥(郭公)よ、ひどく鳴いてくれるな、わが恋心も募ろうものを。 全体的に、鏡王女の歌は、額田王のような、目立つ華やかさと機知はないかもしれませんが、しっとりとしていい歌だと思います。 それから、額田王の秋風の歌に応えて詠まれた四八九の歌は、 近江大津宮の文雅の一端として、額田王と姉妹という設定で 詠んだ歌ではないかとする、指摘があります。